監督の吉村廉は、大正十四年に日活京都大将軍撮影所へ助監督として入所。内田吐夢に師事し、昭和六年に八木安太郎脚本の『作業服』(瀧花久子主演)で監督デビューを果たしている。誰からも好感を持たれる誠実な人柄が作品にも反映し、大ヒット作や問題作は少ないが、良心的な佳作を数多く送り出しており、本作品も典型的な吉村廉作品と言えよう。戦後になってからの『白雪先生と子供達』(昭和二十五年、原節子主演)や『少年死刑囚』(三十年、牧真介主演)が代表作であり、十五年の『結婚記』(村田知英子主演、無声縮刷版)がマツダフィルムライブラリーに保存されている。
(略筋)
中学の英語教師をしていた父・俊作は、眼を患って職を退き、母は亡くなり、姉は家出し、幸子は苦しく、淋しい生活を送っていた。雑司ヶ谷の墓地に近い植木屋の離れを借りて、盲目となった父は、生徒から贈られたオルゴール時計が無二の友であり、慰めであった。その父の語る童話を幸子が筆記して出版社へ持ち込むのだが、もはや父の作品は時代遅れで、どこも受入れてはくれなかった。それを父に話す訳にも行かず、生活は窮迫していた。そんな折、墓地を散歩中に父が倒れた。父の医療費を捻出する為には、心ならずも父の大切な歌時計を質入れするしかなかった。幸子は看病の暇を縫って、いつしか自分の現実をありの侭に綴った処女作を完成させた。その原稿が認められ、急いで歌時計を取り戻して来るのだが、もはや父は永遠の眠りについていた。