河部五郎の代表作の一つであり、全盛期の主演作品の中で、ほぼ原型を留めた形で保存されているのは、本作品のみであろう。南光明の日活時代劇初出演作品でもある。
高橋壽康は、カメラマン出身の撮影技術に定評があった監督で、河部五郎主演『照る日くもる日』等娯楽時代劇を数多く手掛けており、昭和五年以降は田中都留彦と改名し、七年迄日活時代劇部の監督として活躍した。
(完結篇)原作が朝日新聞夕刊に連載されたのは、昭和二年の六月十日から十二月三十一日迄であるから、この完結篇が製作されていた時にもまだ連載は続いていたことになる。当時の批評は「製作が粗雑になった。これは大変目についたことだ。脚色にも監督にも時日を急いだ跡を歴然と感じる。」と手厳しいが、「乱闘や酒席に使ったオーバーラップは一寸面白いものに思へた」と撮影技法に関しては及第点を与えている。
高橋壽康は、第二篇を撮った後、松平鶴之助主演の『錦旗を盾に』を挟んで、本作品を監督している。
原作の土師清二は、大正十一年、「旬刊朝日」(後の「週刊朝日」)の創刊に尽力してその編集者となり、翌年に処女作『水野十郎左衛門』を同誌に連載。この『砂絵呪縛』が大変な評判をとったことで一躍流行作家となった。代表作は他に『青鷺の霊』『津島牡丹』『風雪の人』等があり、無声映画時代に映画化された作品には『敵討破れ傘』(昭和三年、悪麗之助監督)、『血ろくろ伝奇』(昭和六年、金森万象監督)などがある。
(略筋)
徳川五代将軍綱吉の後継をめぐり、甲府宰相綱豊を支持する一派は水戸光圀を後盾に、間部詮房が「天目党」を結成。これに対し柳沢吉保は紀州家からの擁立をはかって己の天下にせんと企み、私党「柳影組」を組織し、幕府の財政窮乏をごまかす為悪銭の鋳造も企んだ。天目党の青年剣士勝浦孫之丞が柳沢の悪事を暴く為、贋金作りの名人黒阿弥を誘拐すると、孫之丞の恋人、間部の娘露路が柳影組に誘拐され、黒阿弥の娘お酉に預けられた。孫之丞は露路を奪い返そうとするが、幾度と柳影組の腕利き鳥羽勘蔵等に阻止される。徳川大奥に潜入した孫之丞の妹千浪は、庭番の関仙兵衛の協力を得て重大な秘密を握る事が出来た。怪しい土蔵の中に入れられた黒阿弥のその後は?美丈夫孫之丞に恋慕の情を抱いてしまったお酉は?そして砂絵師藤兵衛とは?
(完結篇)徳川五代将軍綱吉の後継をめぐって、甲府宰相綱豊を支持する水戸光圀、間部詮房の一派「天目党」と紀州家からの擁立をはかって実権を握ろうと企む柳沢吉保の一派「柳影組」との対立は止むところがなく、益々激しさを加えていった。柳影組に奪われた露路、天目党に勾かされた黒阿弥を連れ戻す両派の争いは決着がつかぬまま、大阪城内にある御金蔵、黄金の“竹流しの分銅”の争奪へと舞台を移した。勝浦孫之丞と鳥羽勘蔵は前後して大阪に向うが、孫之丞と杉生左門は、道中まんまと鳥羽に謀られ、遅れを取ってしまった。柳影組が見事に“竹流しの分銅”を手に入れ、江戸へ送ろうとしている矢先、将軍綱吉の他界を知らせる早馬が飛んだ。権勢をほしいままにしていた柳沢吉保は、水戸家の上意書をもった天目党の為、悪運尽きて失脚していった。綱豊改め家宣が、晴れて六代将軍となり、再び天下太平の日々が訪れた。争奪の日々、それは一見砂絵の如く、一掃すれば跡方もない―
その砂原を行く孫之丞と露路、杉生と千浪。そしてひとり淋しく旅立つお酉の姿もあった。