南旺映画は、早くから映画国策を提唱して映画法起草の機運を作った政友会代議士岩瀬亮が、昭和十四年一月に南旺商事会社を設立し、その中に大日本児童映画協会を設けて『友吉と馬』(八田尚之監督)や『子供と兵隊』(阿部豊監督)といった教育映画を製作したのが始まりである。しかし、この種の作品だけでは収益が上がらない為、芸術映画の製作も掲げて南旺映画株式会社に拡大し、東宝と配給契約を結び、高峰秀子主演『秀子の応援団長』や徳川夢声主演『彦六なぐらる』(共に十五年、千葉泰樹監督)などの作品を送り出すが、経営は芳しくなく、十六年には東宝映画の傘下に入り、間もなく行なわれた企業統制によって、同年十月末には解散となった。
主演の横山運平は、1899年に、日本率先活動写真会の駒田好洋と三越写真部にいた柴田常吉とが共同で製作した日本最初の劇映画『ピストル強盗清水定吉』に、犯人を発見し、格闘して逮捕する巡査の役で出演しているので、日本映画最古の俳優ということになる。以来、1962年まで俳優を続け、若い時から老け役を得意とし、どこにでもいる老人に扮したら天下一品であった。
(略筋)
村人達が気軽に様々な相談に訪れるある小さな村の役場。ある日のこと、しばらく寝込んでいた五作ぢいさんが元気な顔を見せたので、顔馴みの役場の人達も安心して優しく声をかけてきた。五作ぢいさんは、税金の通知がまだ届いていないのを気にして出掛けて来たのだった。近頃は、生活に困らぬ者までが税金を厭い、滞納しがちなのに、なんと律義な人だろうと役場の人達は感心した。実は、今年の村会で、五作ぢいさんの家は納税免除になっていたのだ。だが、いくらそう説明しても、ずっとこの村でお世話になっているのにそれでは気が済まない、貧乏人でも人としてしなければならない事はちゃんとしたいと云い張り、持参したお金を村の為に役立ててくれと差し出すのだった。五作ぢいさんの心意気は村の名誉だと村長はじめ皆感動したのだった。