『崇禅寺馬場』は講談などでお馴染みの演目であるが、山上伊太郎流の解釈が施され、従来の物語とは全く趣を異にした作品に仕上がっており、特に生田傳八郎は独創的に描き出されている。
マキノ智子と共にマキノの看板女優であった松浦築枝に対する評価が高く、「松浦築枝のお勝はどっちかと云へば役柄ではない鐵火の女を正博氏の指導そのままに演出して成功して居るのは一驚に價するものである。僅かの間にこれ程うまくなった女優も少ないと孃に接する毎に感じる事である。」と、当時の批評にある。松浦築枝が松田定次監督と結婚したのはこの作品から四年後である。
本来は全十一巻の作品であるが、現在保存されているのは約三巻分である。
(略筋)
大和郡山藩の御前試合で、遠城惣左衛門と立合って不覚にも敗れた生田傳八郎は、勝利に驕る惣左衛門の侮辱に耐えかねて、彼を斬り捨て、逐電した。藩主は、惣左衛門の息子二人に藩の名声を挙げるため、仇討の旅に出発させた。やっとの事で、やくざの用心棒に身を落した傳八郎に巡り会った兄弟は、崇禅寺馬場を果し合いの場所に決め、後日を約した。傳八郎がお勝に果し合いの仔細を打明けると、女の悲しさ、傳八郎恋しさの余り死なせたくないと、お勝は密かに助太刀の手配をした。崇禅寺馬場での果し合いは、遠城兄弟が悲惨にも返り討ちとなった。傳八郎はお勝が助太刀を集めた事を知り憎悪するが、お勝への慕情も捨て切れず苦悩する。そして藩から更に討手が向けられると、傳八郎は今はこれまで、と悲壮な叫びと共に切腹し果てたのだった。