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質問箱


無声映画に関する御質問をお受け致します。原則として無料ですが、特別な調査を必要とする場合やデータの加工が必要な場合は有料(古典映画に関する各種リサーチ)にてお引き受け致します。E-mailに気軽にお申し込み下さい。

E-mail:katsuben@matsudafilm.com

また、御質問及びその回答を本ホームページにて公開致します。(御希望により非公開、匿名と致します。)

質問:大学の映像分析の授業で、貴社製作のビデオ『ニーベルンゲン・第一部・ジークフリート』を拝見しました。この作品の前半部分ではワーグナーの「ワルキューレ」が使われていますが、後半、ジークフリートが殺される場面 等で使われている曲がわかりません。この作品で使用された音楽の作曲者、曲名について教えていただければ幸いです。(S.W.)
回答:『ニーベルンゲン・第一部・ジークフリート』(発売:NECアベニュー・廃盤)でBGMとして使われている楽曲は、主にワーグナー「ニーベルングの指輪」ハイライツ(ロンドン交響楽団 レオポルド・ストコフスキー指揮)より選曲されています。

上記以外では、グリーグ作曲の「マリア」「胸のいたで」、ベートーベン作曲の「英雄」を使用しております。
(回答:松田豊)
質問: 『雄呂血』について質問します。高橋治さんの「純情無頼 小説阪東妻三郎」によると『雄呂血』ラストの殺陣は「二十分」となっています。阪妻さんの御子息4人が顔を揃えたNHK番組「駆けよ!バンツマ」でも長門さんのナレーションで「ラストの殺陣は二十分もつづきます」とおっしゃってました。無声映画鑑賞会のときにビデオを買ったのでカウンターで確認するとラスト、阪妻さんが吉松さんに刃を向けたところから阪妻さんが縛につくまで測っても8分ありません。無声とトーキーのコマ数の違いは聞いたことはあります。でも1秒に16コマのスピードで回したとしてもあの殺陣がそのまま20分になるとはおもえません。何で「20分」なんでしょう?(S.M.)
回答: 『雄呂血』は、オリジナルのネガが保存されていた貴重な作品であり、現在上映されているフィルム(ビデオも)も、オリジナル・ネガから復元されたものですので、ほぼ完全な形であると考えられています。〈修復の段階で復元できなかった部分が仮にあったとしても、それが大勢に影響する程度だとは思えません〉

映写スピードの問題は勿論ありますが、現在の上映時間の1.3〜1.5倍位までの違いだと考えられます。最後の殺陣が「20分」という表現ですが、凄い殺陣であったということが、誇張されて伝えられているのではないでしょうか?『雄呂血』に関しては、「最後の一巻がまるまる乱闘場面」などという表現も見かけたことがありますが、一巻=約10分というのが当時の35mmフィルムの大よその目安となりますので、これなら、実際の映画と合致することになりますね。 (回答:松田豊)
質問: 1994〜99までイギリスに住んでいたときに見た邦画が気になっていて忘れられません。途中から見たのですが、白黒でサイレント、画面の後に日本語の字幕の画面が出ました。その映画はたしかドイツ語の衛星放送で見たと思います。妻を亡くした男の人が、小学生らしい息子二人と食堂を営む家の二階に住む話でした。景色の様子ではその当時の都会のように思いましたが、原っぱが広がったなんだかさびしい風景でした。今までに見たことも無い映画でした。なんだったのかを知りたいのですが。(匿名)
回答: お寄せ戴いた情報だけでは、何とも判りかねますが、日本の無声映画で、海外でテレビ放映され、且つ、弊社が係っていないとすると、小津安二郎監督作品ではないかと思われます。そうしますと『東京の宿』(男やもめ、子供2人)あたりではないかと思いますが、如何でしょうか?(回答:松田豊)
質問: 先日、京都の「幾松」という料亭に行ったのですが、ここの料亭は桂小五郎と幾松が住んでいた史跡で、ここの料亭で食事をする前に桂小五郎と幾松の話を弁士風に話してくれます。その話を聞いて以来、桂小五郎と幾松の話が好きになり、桂小五郎と幾松を扱った映画は無いか調べた所、松竹キネマにて『桂小五郎と幾松』と言う、無声白黒映画がある事を知りました。しかし、本映画の情報が全く無く、フィルムが現存しているかもわかりません。もし、本フィルムが現存しているのであれば、是非作品を観てみたいと思っています。物語のあらすじとフィルムは現存しているか、又観る為にはどうすればいいのかを調査頂きたく宜しくお願い致します。(K.E.)
回答: 残念ながら、『桂小五郎と幾松』に関しては、フィルムの保存は確認されておりません。物語の粗筋は、当時のキネマ旬報等をお調べになれば、判明するかと存じます。(回答者:松田豊)
質問: 私の1980年に亡くなった祖父中村鉞太郎こと中村夢郷は活弁士でした。祖父の活弁士時代のことを知りたいと以前から思っておりましたところ、偶然御社のことを知り、もし祖父の活弁士時代のことを知るためのヒントをお教えいただければ、と送信させていただきました。祖父のことを知る手がかりをご存知でしたら、ちょっとしたことでもいいので教えていただけますでしょうか。よろしくお願い申し上げます。(M.T.)

回答: 活動弁士に関する資料は大変乏しく、徳川夢声氏のような有名な方は別 格としても、個々の弁士さんの経歴等を調べるのは、至難の業と云わざるを得ません。

弁士に関する書籍としては
無声映画鑑賞会篇「活動弁士 無声映画と珠玉の話芸」
    http://www.matsudafilm.com/matsuda/f_pages/fj.html
御園京平著「活弁時代」岩波書店

が挙げられます。これらは、活動弁士の概略を知るには宜しいかと思います。
古い映画関係の資料が豊富にある図書館は、国立の東京近代美術館フィルムセンター、早稲田大学にある演劇博物館、日本大学藝術学部図書館等です。

又、当時は、毎年のように「弁士番付」が発表されておりました。これは公式のものではなく、雑誌社などが読者の人気投票を元に相撲の番付を模倣して弁士の格付けを行っていたものです。弊社には、大正8年度の番付があり、複製品を販売しておりますが、1980年までご存命の方ですと年代的に古すぎるかなと思います。あまり、弁士番付は表に出ませんが、調べてみる価値はあるかと思います。

また、弁士さんはそれぞれ映画館に所属しており、当時の映画館は、「○○館ニュース」とか「○○座週報」と題する個別のプログラムを発行しておりましたので、祖父様が弁士をされていた映画館が判れば、その館発行のプログラムを追っていく形で、どのような作品の弁士をしていたのか(当時は、洋画、時代劇、現代劇...というように専門別に弁士は分かれていました)、どのくらいの地位にいたのか(専属の映画館の中で、見習いから主任弁士まで階級があり、映画館による違いはありますが、主任弁士はメインの作品の後半部分だけを担当していたようです)といったことがお分かりになるかと存じます。

あとは、弁士の語りを録音したSPレコードがありますが、これらはかなりの数が発売されておりましたので、よく骨董市などでも見受けられます。(回答者:松田豊)

質問: 関紫好という弁士に関して資料が残ってないでしょうか? 本名は篭倉薫というそうです。私の母方の祖父なのです。祖母は最近(2001/2/13)亡くなりました。そのとき母からどうしても調べて欲しいと依頼されました。なんでも、レコードに肉声を吹き込んだものがあり、母自身は声を聞いたことが無いのでどうしても聞きたいとのことなのです。代表作が『曽我兄弟』という作品らしいです。何かわかりましたら教えてください。(K.F.)
回答: 当方の資料を探しましたところ、「関紫好―無声末期、富士館にて時代物担当、歯切れよき美声が売り物、トーキー以後は浅草河合キネマに転ず。」と云う記述がありました。

富士館というのは、浅草にあった日活の封切館です。「トーキー以後は浅草河合キネマに転ず」とありますので、大手の映画会社である日活が無声映画の製作を止めた後(昭和10年頃)、未だ無声映画を製作していた中小の映画会社である大都映画の封切館=浅草河合キネマに移ったということですので、遅くまで(昭和12〜13年頃まで)弁士をされていた方だと思われます。

弊社が保存している「活弁SPレコード」のリストには、残念ながら「弁士・関紫好」のものは見当たりませんでした。“活弁SPレコードの全発行リスト”といったものは、当方の知る限りではございませんので、発行記録等は調べ様がないのですが、骨董市や神田の古書店街などでは、よく“活弁SPレコード”が販売されているのを見かけます。(回答者:松田豊)
質問: はじめまして。ハヤブサヒデトの映画を見たいと思い、検索していましたら、こちらのHPに辿り着きました。一度、大学の授業でハヤブサヒトのビデオを見たのですが、忘れられず、自分でもビデオを欲しいと思い探しています。いろいろ調べているうちに、在庫があれば『争闘阿修羅街』が購入できると他のHPでみましたのですが、このビデオを購入したいと思っています。また、他にハヤブサヒデト出演のビデオで購入できるものがありましたら、タイトルと金額を教えて頂けないでしょうか?一度見た時に、とってもドキドキして、こんな人がいたのかと感動し、また見たいと思っています。お忙しいかと思いますが、是非よろしくお願いします。(N.K.)
回答: 残念ながら『争闘阿修羅街』のビデオは既に廃盤となっており、弊社にも在庫がございません。他の作品も弊社にはございません。何卒、ご了承下さいませ。(回答者:販売担当)
質問: 戦前の大都映画の『忍術千一夜』と『柘榴一角』が発売していると伺ったのですが今もその二本を買えるのでしょうか。(匿名)
回答: 上記作品のビデオは既に廃盤となっており、店頭在庫もございません。何卒、ご了承下さいませ。(回答者:販売担当)
質問: はじめて弁士の方による映画公演を拝見し、とても感動しました。恥ずかしながら活弁についてあまり知識のない私でしたが、それ以来大変興味を持つようになりました。弁士の方たちについての書籍や、現在の活動、どうしたらなれるのか、などなど教えていただけたらうれしく思います。(匿名)

回答: 弁士についての書籍には、

無声映画鑑賞会篇「活動弁士 無声映画と珠玉の話芸」
    http://www.matsudafilm.com/matsuda/f_pages/fj.html 
御園京平著「活弁時代」岩波書店

が挙げられます。
又、弊社ホームページ「無声映画を知る」の項をご参照戴けたらと思います。

現在の活動に関しましても、弊社HPの今月のお知らせや、活動弁士「澤登翠」のプロフィールの項をご参照ください。無声映画鑑賞会の会員を対象とした話術研究会「蛙の会」というのがあり、この会には「弁士の話芸」習得を目指す方が集っております。又、澤登翠の「活弁講座」[2004.7月より読売・日本テレビ文化センターで開催]などでも、話芸の実技指導があります。ただし、何人もの弁士が存分に活躍出来るほどの需要がある仕事ではありませんので、たとえ技能があっても、それなりの収入が得られるという訳には行かないようです。(回答者:松田豊)

質問: 無声映画鑑賞会、いつも、わくわくどきどき楽しみにしています。第511回例会で上映された『ヴァリエテ』には前半部分のフィルムが存在するのでしょうか?クラシック映画ニュースの略筋には、ボスとベルタが出会って、彼が妻子を捨てて駆け落ちしていく、とあるのですが、映画では、その部分はなかったので。もともと、その部分はないのか、それとも失われてしまったのか、疑問に思ったのですが、調べるすべもなく、不躾とは思いましたが、質問のメールをさせていただいた次第です。それから、『ヴァリエテ』とは、どういう意味ですか?(Y.M.)
回答: 無声映画鑑賞会等で上映致しております『ヴァリエテ』はアメリカで公開された折のバージョンとご理解戴ければと思います。一般に、ヨーロッパでは作品の最終的な編集権を監督が所有する場合が多く、比較的長い作品が出来やすい環境にあります。これに対してアメリカでは、最終的な編集権をプロデューサー、もしくは配給会社側で所有することが一般的で、興行面などからアメリカ映画は勿論、ヨーロッパ映画でもアメリカ公開時に再編集されて短縮されることが多々ありました。

当方のような民間の機関では、『ヴァリエテ』のようなヨーロッパ映画でも、現在は、アメリカ公開版のフィルムの方が上映用として入手しやすい為、上映される機会もアメリカ版が圧倒的に多くなっています。しかし本国などには、ヨーロッパ版のフィルムも残っているはずですので、フィルムセンター等の公的機関が開催する上映会などでは、本国版を鑑賞出来る可能性があると思われます。

又、『ヴァリエテ』の意味ですが、確かではありませんが英語のvariety(バラエティー)と同意語ではないでしょうか?日本での公開時には『曲芸団』という副題も付けられていました。(回答者:松田豊)
質問: どうして『雄呂血』というタイトルがついたのでしょうか? 何かの意味があるのでは?と思ったのですが、全くわかりません。(匿名希望)
回答: 『雄呂血』は当初『無頼漢』という題名でしたが、検閲に引っ掛かって改名を余儀なくされ、脚本家・寿々喜多呂九平の"呂"の字を使うなど、語呂合わせで急遽付けられた造語による題名だといわれています。従って、題名そのものには意味は無いようです。(回答者:松田豊)
質問:『柘榴一角』(昭和16年大都映画作品)についてお伺いしたいのですが、当方、札幌在住なので、残念ながらそちらまで伺えませんが、こちらに来られることはないでしょうか? あれば(是非!)スケジュールをおしえて下さい。又、これを見る場合、どのようにしたらよいかも教えていただけませんでしょうか。(W)
回答: 残念ながら現在の所、札幌周辺での『柘榴一角』の上映予定はございません。弊社が係わっている催しで、一般の方がご入場になれる上映会に関しましては、その都度、可能な限り弊社ホームページ上にてお知らせ致しております。(回答者:松田豊)
質問:今、初期の映画に興味があって、グリフィスの映画を中心に見ています。グリフィスは、平行モンタージュを1910年代に取り入れて、画期的な映画の表現化に成功したと本で読みました。この技術が彼の名を有名にしたと書いてありましたが、彼が、同時代にどのような他の技術を使って映画の表現化に努めてきたのか教えてください。また、彼の映画が、同時代のヨーロッパの映画とどのような所が異なるのか、また、共通するのか教えてください。できたら、例となる映画の題名やシーンなども一緒に載せてくれれば、そこに注目して次回見ることが出来るので、よろしくお願いします。(T.S.)
回答: 難しい質問ですね。映画史の研究領域にかかわるご質問なので、出来れば、多くの研究者の書かれた書籍や論文をお読みになって、考察していただければと思います。

回答にはなっていないかもしれませんが、簡単に書かせていただきます。

一般に、グリフィスが取り入れたといわれる手法には、この"平行モンタージョ"の他に、"クローズ・アップ"“クロス・カッティング"や"カット・バック"などがあります。

"クローズ・アップ"によって感情や心理を強調したり、"クロス・カッティング"の反復によって緊迫感を盛り上げたりといった具合に使われており、これらの手法によって、『東への道』をはじめ、グリフィス作品に多々見られる《最後の瞬間の救出》をより劇的、かつ感動的に演出したと云って良いでしょう。これらのグリフィスが生み出した手法が、今日までもごく普通に使われていることから、〈アメリカ映画の父〉とも言われているわけです。

又、ご質問の「彼の映画が、同時代のヨーロッパの映画とどのような所が異なるのか…」という点ですと、グリフィス以前の作品にはこれらの手法がほとんど見られず、グリフィスが『国民の創生』や『イントレランス』を発表してからは、これらの手法が見受けられるということになりましょう。

例をあげるとなると、異なる題材を映像にしているわけですから、とても難しいのですが、グリフィス以前の作品として、1910年代に興隆を極めたイタリア映画、たとえば『カビリア』や『ポンペイ最後の日』『アントニーとクレオパトラ』などの作品群と、グリフィスに強い影響を受けたといわれるセシル・B・デミル、アベル・ガンス、エイゼンシュテインなどの作品群を、グリフィス作品と見比べると面白いかと思います。

最初に述べましたように、ご質問の内容は、映画史家の方々が今もって研究している領域であり、ここでの回答はほんの一断片に過ぎませんので、より深くグリフィスや初期の映画を理解するためには、出来る限り多くの作品、多くの書籍をご覧になっていただきたいと思います。(回答者:松田豊)
質問:時折、無声映画鑑賞会にお邪魔させて頂いております。御社のWebサイトに掲載されている「無声映画作品紹介」の中の『謎の殺人事件』という作品は、実は私の祖父である、故・小笠原隆が出演しておりまして、ぜひ一度見てみたいと思っております。「作品紹介」の項目にあるということは、御社にてフィルムをお持ちでいらっしゃるということでしょうか?もし、お持ちであるということでしたら、いずれ上映される機会もおありだということでしょうか?お答え頂ければ幸いです。どうぞよろしくお願い申し上げます。(M.K.)
回答: 『謎の殺人事件』は弊社にフィルムが所蔵されておりますので、これまでにも何度か無声映画鑑賞会等で上映されております(前回上映は1996年7月)。弊社HPの「今月のお知らせ(上映会情報)」をこまめにチェックして下さい。尚、無声映画鑑賞会では、一度上映致しますと3年間は上映対象になりません。(回答者:松田豊)

質問:『カリガリ博士』(ドイツ、1919年)についてお聞きしたいと思います。徳川夢声の語りが抜群とホームページにありました。また、梅村紫声があらすじを書いている雑誌を読んだことがあります。そこで、いくつか質問があるのですが、

(1)当時、他にはどのような弁士がやっていたのでしょうか。
(2)弁士により、ストーリーの細部に差異があるのでしょうか。
(3)現在、弁士が利用していた脚本(と呼ぶのでしょうか?)のようなものは、入手できるのでしょうか。

現在出回っているビデオは英語の字幕に和訳をつけたものしか見たことがなく、それらに違いがあるのかどうかを知りたいと思っています。よろしくお願いします。(匿名)

回答:
(1)当時、他にはどのような弁士がやっていたのでしょうか。
→当時、弁士は映画館に所属しており、所属している映画館でのみ弁士を務めていました。従って、『カリガリ博士』が上映された映画館では、その映画館に所属していた弁士が語ったことになります。又、長編映画(目安として60分以上)の場合、全編を一人の弁士で語ることは稀で、一回の上映に関しても、二人ないし三人の弁士が、前半と後半というように分担して弁士を務めていました。よって概算では、『カリガリ博士』を上映した映画館数の2〜3倍の数の弁士が、語ったことになります。具体的な名前に関しては、資料が乏しく、全体像が判りませんので、控えさせていただきます。

(2)弁士により、ストーリーの細部に差異があるのでしょうか。
→弁士に渡される台本は、洋画の場合、英語字幕を翻訳されたものだけだったといわれており、字幕以外の部分に関しては、それぞれの弁士の創作ということになりますので、弁士が違えば、細部に関しては違いが現れたと考えられています。

(3)現在、弁士が利用していた脚本(と呼ぶのでしょうか?)のようなものは、入手できるのでしょうか。
→作品の一部分に関しては、「名セリフ」の形で伝えられておりますが(たとえば、書籍「活動弁士」には、日本映画50作品の名セリフが掲載されています)、作品全体の「説明台本」の類は、一般には入手出来ないと思われます。

(回答者:松田豊)
質問:ハヤブサ・ヒデト、高木新平に関してお聞きしたい事があります。ハヤブサ・ヒデトが自作自演をする以前の活劇、大都以前の、宝塚キネマなどで作った「隼秀人」の名で主演していた頃の作品は現存しているのでしょうか?1920年代に作られた、脇役の頃の作品、或いは最後の作品となった『怪傑ハヤブサ』(1949)などの作品は残っていないのでしょうか? また、紛失したと思われているフィルムが個人の手で保管されており、故に「紛失」というレッテルが作品に貼られているという事は有り得ますでしょうか? それと、別の情報ではマニア間の取引などでハヤブサ・ヒデトのものが出回っていると聞いた事もあります。そこでお聞きしたいのは、現在もハヤブサ・ヒデトの映画を観たいと、求めておられるような方はあまりいないのでしょうか? 高木新平の『怪傑鷹』という無声映画のタイトル画面がある本に載っていたのですが、これは現存している、とは考えられないのでしょうか?(R.U.)
回答:残念ながら弊社には『怪傑ハヤブサ』も高木新平主演の『怪傑鷹』も保存はされておりません。これらの作品は失われてしまっているかと思いますが、東京国立近代美術館フィルムセンターには、弊社保存作品以外の大都映画がいくらかあるようです。又、個人の方が所蔵されている可能性もないとは言い切れません。ハヤフサヒデトと云うよりも、大都映画のファンの方は数多くいらっしゃり、ビデオのコレクションをされている方もおられるようです。しかし、マニアの間で取引されているというよりも、ごく限られた方々の中で個人的にやり取りされているようです。ハヤフサヒデトや高木新平の作品をご覧になりたいという方は、もちろん無声映画鑑賞会の会員の方の中にもたくさんいらっしゃいますが、“ビジネスとして成立するだけのマーケット”とは言い難いのが現状です。 アーバン・コネクションズさんで制作・発行されているDVD−ROM「日本無声映画大全」には、現在確認されている日本の無声映画の保存状況が検索できるようになっておりますので、実存するフィルムの所在を調べるにはとても便利です。(回答者:松田豊)
質問:臨検席と男女別席は何年ごろまで続いたのでしょうか。“問題があると「こら、弁士」といって映写を止められることもあった”とありますが、具体的にどのような場合に止められたのでしょうか。典型的な例だけでもいいので教えていただければ幸いです。また、当時の様子などが書かれた書籍資料などがありましたら、教えてください。(S.K.)
回答:確実な事は云えませんが、男女別席が廃止されたのは、昭和10年以降と聞いております。

臨検席は、上映中に警官が常駐していた席というよりも、見回りに来たときのスペースだと考えた方が妥当だと思われます。戦時中までは、映画に限らず、あらゆる面で警察官による取り締まりが厳しかった様ですので、その頃までは有ったのではないでしょうか。又、取締りの内容ですが、天皇や皇族に対する不敬、思想問題(反政府的な言動、共産思想、戦時色が強くなれば反戦や敵対国に関する事など)、猥褻の問題などが主だったのではないかと考えられます。

又、書籍についてですが、昭和の風俗・雑記帖的なものや映画の歴史を振り返ったものなどで、時折、無声映画時代の映画館について簡単に書かれたものを見掛ける程度ですので、推薦できる書籍資料は、中々思い当たるものがありません。(回答者:松田豊)
質問:私は無声映画の頃の桂章太郎の姪になります、父からは聞いていた叔父が、こんなにも映画に出ていた事を知り動画で見たいと思いますが、どこかで見る方法はないでしょうか?(匿名希望)
回答:いろいろ調べてみましたが、残念ながら桂章太郎さんの出演作品で、フィルムの保存が確認されている作品が見当たりません。叔父様を動画で見るのは、難しいかもしれませんね。新たにフィルムが発見されることもありますので、弊社のHPや、しばしば古い作品を上映している東京国立近代美術館フィルムセンターの上映スケジュールをこまめにチェックされることをお勧めします。(回答者:松田豊)
質問:『雄呂血』を見たのですが、大変に感銘を受け、楽しみ、また色々考える「きっかけ」を享受いたしました。映画も活弁も素晴らしかったですね。色々と伺ったり調べたりしたいこともあるのですが、とりあえず1点だけ、簡単にわかる点があったら教えてくださいますか? 映画の背景で流れていた音楽、特に最後の辺りの「立ち回り」シーンなどで使われていた「三味線?+弦楽」の<日本+西洋>的な(現代の耳で聴くと、ある種シュールな魅力が再発見される)曲は、当時の物なのでしょうか? もし曲名・作曲者・演奏者、または背景的な情報があれば、知りたいです。ちなみに私は「ラグタイム」という20世紀初頭の音楽に首を突っ込んでいまして、西洋サイレント映画におけるラグタイムの使われ方(好き嫌い・善し悪しは別ですが)にも興味を持っています。(H.A.)
回答:『雄呂血』の音楽ですが、今から25年位前まで存続していた無声映画の和洋楽団/アンサンブル「想い出」による演奏曲で、作曲者は「想い出」の楽長・渋谷新作氏によるものとされています。無声映画時代に演奏されていた原曲があって、それをアレンジしたものかも知れませんが、詳細は不明です。題名は「エスケープ」と付けられております。(回答者:松田豊)
質問:東京キネマ倶楽部やアテネフランセで無声映画のライブ上映をよくみさせてもらっておりました。東京キネマ倶楽部で『戦艦ポチョムキン』を観たのですが、字幕が英語で音楽も聞きなれないもので、はじめて観る版でちょっと興味ぶかく観させてもらいました。あれはアメリカかどこかの版なのでしょうか?

もうひとつ、アテネでシュトロハイムの『メリー・ウィドウ』を観たのですが、これとは別の日にやりましたシュトロハイムの『愚かなる妻』、これが私のもっているビデオとは違う版で、音楽もなかなか面白くて気に入ったのですが、あれはどこの版なのでしょうか? 無声映画のライブ上映に夢中で、いろいろと楽しませてもらっています。まだまだいろんな映画に出会えるものと期待しております。(S.K.)
回答:個々の作品について正確にお答えする為には、資料を調べなくてはなりませんので、一般論として回答させて戴きます。東京国立近代美術館フィルムセンター等の公的機関は別として、現在、日本で一般的に見ることの出来る洋画無声映画は、大部分の作品がアメリカの個人コレクター所有のフィルムを基としたエージェントから入手したものと考えられます(個人コレクターもエージェントも複数です)。従って、ヨーロッパの作品であっても、アメリカ公開版が原版になっていることが多いと考えて間違いないと思います。コレクター所有のフィルムですから、同じ作品であっても、出処が違えば、作品の長さ(欠落部分があったりして)や画質が違うということも日常的なことです。

又、音楽についてですが、本来は無声映画ですから、原則的には後から付けたものです。その付け方ですが、大まかに言えば2通りでして、ひとつは、コレクターもしくはエージェントが作曲(選曲)してフィルムに録音した版。もう一つは、上映時に上映者が選曲をして伴奏音楽として流す方法(ビデオでしたら、ビデオの製作者が独自に選曲をして・・という方法)です。弊社が上映者となる場合は、後者の方が多いです。(回答者:松田豊)
質問:初めて問い合わせ致します。母と活弁映画を見に行きたいと思っておりますが、定期的に上映されてはいないのでしょうか。もしくは今後の上映予定スケジュールなどあれば知りたいのですが。(H.I.)
回答:上映スケジュールは弊社HPの「今月のお知らせ」 http://www.matsudafilm.com/matsuda/indexj.html に順次掲載しておりますので、ご参照下さい。

又、弊社では「無声映画鑑賞会」を主宰しており、毎月一回の定期上映を開催しております。こちらは一般の方でも勿論、御入場戴けますが、会員に御入会戴けますと、入場料の割引、会報の送付の他、毎月上映案内をお届け致します。こちらも弊社HP http://www.matsudafilm.com/matsuda/d_pages/d_bj.html にてご案内致しておりますので、ご参照戴ければ幸いです。何卒、宜しくお願い致します。(回答者:松田豊)

質問:はじめまして。私はアメリカ人で漫才について修士論文を書いているゼビア・ベンスキーと申します。早速ですが、無声映画に関する質問を聞かせて頂きたいと思います。

私は、「漫才の父」とも言われているエンタツ・アチャコさんが登場した時代の文化・社会的背景を研究しております。エンタツのちょび髭は心の師と仰いでいたチャップリンをまねたものだったそうです。「ご両人がコンビになったのは昭和5年で、コンビがそろいの洋服を着るようになったのはエンタツ・アチャコさんが最初である。それまではほとんどの漫才さんの服装はきものであったが、お客も同じように和服がほとんどであった。それがエンタツ・アチャコのコンビ出現後、急速に洋服のお客がふえてゆくようになったのである。」(秋田実,1984.『大阪笑話史』,工房ノア,74−75)

大阪ではこうした影響で洋服を着る人が増えたというのは一説でしょうが、銀幕の外国人俳優や女優の影響についてはどう思いますか。つまり、洋服を流行らせた一つの要素はバレンチノ、ロイド、ガルボなどの影響力だったのでしょうか。

それでは、よろしくお願いします。

マギル大学東アジア研究科
XAVIER BENSKY
ゼビア・ベンスキー(弁士ではありません^ー^)

回答:無声映画の全盛期は、当然のことながら、テレビもなければ、情報通信器機も発達しておりません。従って、一般の人々にとっては、新聞や書籍などと同様、映画も単なる娯楽だけではなく、重要な情報源であったと言えます。特に、海外については、外国映画から得た情報は多大だったと推測出来ます。

さて、「洋服を流行らせた一つの要素はバレンチノ、ロイド、ガルボなどの影響力だったのでしょうか。」という御質問についてですが、彼等は、日本でも数多くのファンを持っており、彼等への憧れから日本で洋服を着る人が増えたということも当然あったと思います。

弁士でも、邦画の弁士は、きものを着る者が多かったのに比べて、洋画を担当する者は、洋服を着用することが多かったそうです。

以上の様な回答でよろしいでしょうか?

(回答者・松田 豊)

質問:昨年パリのポンピドゥーセンターで日本映画の特集をやっていました。ちょうどあちらに数週間滞在していた私は,日本でもなかなか見ることのできない1930年代のサイレント映画を何本か見ることができました。その中に内田吐夢監督の「警察官」があり,その映画で主人公の警察官の親友を演じていた役者さん(おそらく中野英治さんというお名前だと思うのですが)が,大変印象的でした。この役者さんについて,くわしいことを教えていただけましたら幸いです。

また,この役者さんが出演されている映画を,今後上映する予定がありましたら,ぜひ教えてください。どうぞよろしくお願い致します。

(S.T.)

回答:「警察官」で富岡哲夫役を演じているのは、おっしゃる通り、中野英治(なかの・えいじ)です。

中野英治は1904年12月の生まれ。
1925年に「大地は微笑む」The Earth smiles日活作品・全三篇(監督:第一篇・溝口健二、二編・若山治(わかやま・オサム)、三編・鈴木謙作(ケンサク))で、いきなり主役デビューした現代劇の俳優で、無声映画の後期に二枚目スターとして活躍しました。

代表作には、「灰燼」(かいじん)(村田実監督)、「慈悲心鳥」(溝口健二監督)「山の呼び声」(村田実監督)といった作品が挙げられますが、残念ながらフィルムの現存している作品はごく僅かで、今の所、上映予定の作品はありません。

中野英治の経歴については、キネマ旬報で発行している日本映画俳優全集・男優編に詳しく記載されています。

(回答:松田豊)



 

 


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