MATSUDA: Nen-Pyo (Japanese)
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柳生二蓋笠

 

スタッフ
キャスト


(解説)
甲陽映画は、極東映画が甲陽撮影所から古市撮影所へ移転するのを契機に意見の相違から極東と決別した羅門光三郎、市川寿三郎、綾小路絃三郎らのスターが甲陽撮影所に残り、千鳥興行と提携して、昭和十一年五月に設立された。第一回作品として下村健二監督、オールスター・キャストによる『元和三勇士』を製作、以後、羅門光三郎主演作品を中心として一年間に二十本の作品を製作するが、翌十二年にマキノトーキー作品との併映興行を行なって来た千鳥興行との提携を解除し、独立興行を実施するようになって経営が悪化、五月には設立から僅か一年で解散することになってしまった。

主演の綾小路絃三郎は、昭和四年に市川右太衛門プロに入って以来、中小のプロダクションを転々とし、芸名も浅香麗三郎、燕東三郎、綾小路絃三郎、松永博と度々変えたが、綾小路絃三郎を名乗った昭和十年代が絶頂期で、三流キネマの剣戟スターとして活躍。主演作も数多く残している。

(略筋)
徳川三代将軍家光の御時世。将軍家御指南番柳生一万石の若様又十郎は、酒に溺れ身をくずし、果ては父の愛妾お多摩にまで手を出す始末で、到頭父但馬守から勘当を言い渡されてしまった。兄十兵衛は、又十郎の改心を願い、一計を案じて、密かに無頼の徒盲蛇の権太に弟を襲わせた。散々に打ちのめされた又十郎は、飜然と目覚め未熟な腕を鍛練すべく、日光の山奥に老剣豪磯端伴蔵を訪ね、精進するのだった。辛苦三年、遂に神蔭流の極意皆伝を受けて江戸に戻った又十郎は、兄と邂逅して大久保彦左衛門を訪ねた。彦左衛門は又十郎の腕に惚れ込むと一策を企てた。又十郎を賊に仕立て、その一方で但馬守に天下の指南番の地位をねらう曲者ありと吹き込んだのだ。怒り心頭に達した但馬守は槍を繰り出した。然し、修業を積んだ又十郎は、真剣をとらず素手にも等しい陣笠で、見事但馬守をその場にとらえたのである。賊が又十郎であると知った但馬守は、その腕前に感服し、勘当を解いて柳生の家督を相続させることにした。千代田城内将軍家光の御前で武勇を発揮した又十郎は、めでたく柳生飛騨守宗冬に任官した。かくして、紋所の陣笠二枚重ねは燦然と柳生家に輝くのだった。


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