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無声映画の歴史
  - 1895(明治28)	12月28日、リュミエール兄弟が発明したシネマトグラフが一般公開される
	(パリ)。
   
- 1896(明治29)	11月、エジソンの発明したキネトスコープが神戸で上映される。
   
- 1897(明治30)	2月、シネマトグラフ、ヴァイタスコープ大阪で上映される。
   
- 1898(明治31)	1月、アメリカ製の日本芸者の手踊映画興行される。
   
- 1899(明治32)	6月、東京歌舞伎座で最初の日本製映画興行が行われる。
	11月、市川団十郎、尾上菊五郎出演の『紅葉狩』撮影。
   
- 1900(明治33)	3月、吉沢商店、国産映写機を発売。
   
- 1902(明治35)	ジュルジュ・メリエスが『月世界旅行』〈SF映画の元祖〉を製作、公開(仏)。
   
- 1903(明治36)	7月、『紅葉狩』大阪浪花座で初公開。
 10月、日本初の映画常設館として浅草電気館開業。
 エドウィン・S・ポーターが『大列車強盗』〈西部劇の元祖〉を製作、公開(米)。
   
- 1904(明治37)	3月、吉沢商店、横田商会ら、日露戦争実写撮影班を現地に派遣。
   
- 1905(明治38)	横田商会、京都に撮影所を設立。
   
- 1906(明治39)	7月、梅屋庄吉Mパテー商会を創立。
   
- 1908(明治41)	8月、牧野省三第1回監督作品『本能寺合戦』公開。
   
- 1909(明治42)	6月、最初の映画雑誌「活動写真界」創刊。
 12月、尾上松之助第1回主演作品『碁盤忠信』公開。
   
- 1910(明治43)	日本最初の洋画専門館として、横浜オデヲン座が開場。
   
- 1911(明治44)	12月、映画界最初の株式会社、日本興行株式会社創立。
   
- 1912(明45-大1)	9月、日本活動写真株式会社(日活)創立。
 『ジゴマ』上映禁止。
   
- 1913(大正2)	10月、日活向島撮影所落成、日本初のグラス・ステージ。
 『アントニーとクレオパトラ』『ポンペイ最後の日』などイタリアで製作される。
 (日活向島の作品では、唯一『二人静』(大11)が保存されている。)
   
- 1914(大正3)	3月、天然色活動写真株式会社創立。
 4月、東京シネマ、定期ニュース映画を製作。
 早川雪洲、米でデビュー。
 チャールズ・チャップリン映画デビュー。
   
- 1916(大正5)	1月、「活動之世界」創刊。
 2月、連鎖劇流行。
 D・W・グリフィス『イントレランス』を発表(米)。
   
- 1917(大正6)	4月、日活、天活、漫画映画製作開始。
 8月、警視庁「活動写真取締規則」公布。
 客席を男女別に。
   
- 1918(大正7)	7月、初めて女優を使った帰山教正の純映画劇『生の輝き』製作に入る。
   
- 1919(大正8)	7月、「キネマ旬報」創刊。
 9月、牧野省三、ミカド商会を起し、教育映画の製作を開始。
   
- 1920(大正9)	6月、松竹合名会社にキネマ部を創設し、蒲田撮影所での製作開始。
 日活向島撮影所、初めて女優を採用。
   
- 1921(大正10)	文部省、「活動写真説明者(弁士)講習会」(2月)
	「活動写真展覧会」(10月)を開催。
	4月、栗島すみ子、松竹キネマ入社。 
   
- 1922(大正11)	10月、昼夜2回制興行、全国映画常設館で実施。
   
- 1923(大正12)	4月、牧野省三、(株)マキノ映画製作所創立。
 阪東妻三郎デビュー。
   
- 1924(大正13)	12月、キネマ旬報社、年間ベスト・テン映画選奨始める。
   
- 1925(大正14)	7月、内務省、活動写真検閲全国統一を行う。
 9月、阪東妻三郎、独立プロダクションを設立。
 名作『雄呂血』を製作
   
- 1926(大15-昭1)	世界初の本格的長編カラー映画『ダグラスの海賊』を発表(米)。
	8月、ルドルフ・ヴァレンチノ急死。
 9月、尾上松之助逝去。
 10月、大河内傳次郎、日活入社。
   
- 1927(昭和2)	1月、皆川芳造、フォノフィルムによる国産トーキー製作に着手。
 3月、伊藤大輔、大河内傅次郎のコンビによる『忠次旅日記』(三部作)ヒット。
 3月、林長二郎(長谷川一夫)松竹時代劇デビュー。
 3月、岡田嘉子、竹内良一、恋の逃避行。
   
- 1928(昭和3)	4月、嵐寛寿郎、片岡千恵蔵、独立プロダクション設立。
 嵐寛プロには山中貞雄、千恵プロには稲垣浩、伊丹万作という優れた映像作家を		輩出する。
 10月、川喜多長政、東和商事映画部を創立、ヨーロッパ映画の輸入をはじめる。
 マキノ正博、『浪人街』(第一話)でベスト・テン第一位を獲得。
   
- 1929(昭和4)	2月、日本プロレタリア映画同盟(プロキノ)創立。
 7月、牧野省三逝去。
 第一回アカデミー賞受賞式。(米)
   
- 1930(昭和5)	2月、『何が彼女をさうさせたか』ヒット。傾向映画全盛。
 3月、日活、フィルム式トーキー試作『ふるさと』を製作。
   
- 1931(昭和6)	1月、「映画之友」創刊。
 2月、『モロッコ』に初のスーパー・インポーズがつけられる。P.C.L創立。
 8月、松竹、土橋式トーキー『マダムと女房』に成功。
   
- 1932(昭和7)	トーキーの流行で、弁士、楽士らの反トーキー・ストライキ起きる。
 5月、C・チャップリン来日。
 入江たか子、女優で初の独立プロダクションを設立、溝口健二が参加。
 ウェスタン・トーキー第一作『浪子』製作。
   
- 1933(昭和8)	3月、「映画国策建議案」衆議院で可決。映画法など、官僚統制のはじまり。
 12月、P.C.L映画製作所設立。
   
- 1934(昭和9)	1月、富士写真フィルム(株)創立、国産フィルム量産を発表。
 3月、内務省、映画統制委員会を設置。
 小津安二郎『浮草物語』で三年連続、ベスト1を獲得。
 
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